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【ラスアス2クリア感想】復讐と赦しの物語

発売当初に購入したものの月日が流れてしまい…ようやく、The Last of Us Part2(ラスアス2)クリア感想を書きます。

全体的にネタバレをしているのでご注意ください。

ラスアス2プレイ感想

エリー編

ジョエルが死んだ…!これにつきます。
前作の「おじさんと少女のほっこりストーリー部分」の延長を期待しているユーザーにとっては、改造スパナで殴り倒されるような衝撃です。

ただ、エリーが復讐に走る要因としてこれ以上のものはないですし、あれだけ前作で殺人マシーンになっていたジョエルが平穏に床の上で死ねるはずもないな…とは思っていたので、個人的には、ジョエルの死という展開自体には憤りはありませんでした。確かにこれはラスアスの続編なのだなと思いました。

前作ではエリーの一言一言に残された者の感情など、考えさせられる部分が多かったのですが、今作のエリーはどこまでも復讐に突き進みます。その姿にただ感情移入するのか、アビー編で観た光景にも引きずられていくのかによってこのゲームの印象が大きく変わりそうです。

アビー編

ジョエルを殺害した張本人であり、第二のプレイヤー。
彼女にも様々な事情や人生がありました。前作ラストでジョエルに父(医者)を殺された彼女は復讐を果たしますが、組織内部でのいざこざや、セラファイトなどの対応に追われている間に、復讐に燃えるエリーにより次々と仲間を殺されていきます。

アビーはエリーに報復を行いますが、ディーナやエリーを結局生かす形になり、彼女は復讐に一区切りをつけます。
その後、アビーには守るべき存在ができました。セラファイトに所属する少女レブです。アビーとレブは、前作のジョエルとエリーの再現のように見え、姉妹のような印象を受けました。

アビーについては最初はなんだこの「ゴリラ女子!?」と思っていたのですが、回想ではまだか弱い少女だった彼女が、体格や顔の輪郭が変わるほどのトレーニングを積んできた人生を思うと、徐々に彼女に感情移入するようになりました。

彼女の筋肉一つ一つが復讐心でできている。復讐に突き進むアビーの痛ましい姿をオーエンはずっと見ていたわけです。なので、このあたりの人間模様もまあわからんでもないなぁと。

個人的には、エリーよりアビーのほうがキャラクターの造形的な深みがあるように見えました。

エリーとアビーの決着

アビーに生かされた形になったエリーは、しばらくは穏やかな日々を過ごしていたのですが、結局ディーナたちの制止をふりきり再び復讐へと戻ります。
トミー!お前余計な事言うな!と、トミーへの好感度がだだ下がりしますが、そのトミーの言葉を聞いちゃうエリーも、劇場で仲間の仇を討たなかったアビーよりは未熟さを感じてしまいました。

アビーの痕跡を追うエリー。辿り着いたサナトリウムで感染者以上に恐ろしい人間の所業があらわになっていました。
アビーもレブも、このサナトリウムの浜辺にはりつけられていました。ひとまず二人を開放したエリーですが、理由もなくアビーを殺すことができなくなっていました。この頃には知ってしまっていたのです。アビーも色々なものを奪われ、守っている、同じ人間だと。

最後の浜辺の決闘は非常に痛々しいものでした。
レブを人質にとって刃をつきつけて、戦えと言うエリー。そうやって敵として迎え撃たなければ、エリーはアビーと殺しあえないのだと思うと、なんて意味のない戦いなのだと思わずにはいられませんでした。QTEが地獄のような時間に感じました。ここに至るまでの様々な感情、葛藤、すべてに心を揺さぶられながら理不尽なボタン操作をしていくしかない…とてつもないゲーム体験でした。

総括

復讐を描き切ってやる!という気概はとてつもなくすごいものだったと思います。感情の描き方がとても丁寧で、臨場感・没入感が素晴らしいゲームでした。 しかし、これでもかというくらい復讐感情と向き合わせ、凄惨な殺し合いを体験させることで、制作者はプレイヤーに何を与えたかったのか?と思います。そこまでプレイヤーにしんどい思いをさせる必要あった?と。

復讐の末にエリーに残ったのは痛みと赦しでした。
最後にアビーたちを逃がした彼女に感慨深さを感じつつも、ここに至るまでに失ったものが多すぎました。

最後の決闘で指をいくつか失ったエリーは、ジョエルが教えてくれたギターを弾くことができないままどこかに行ってしまいます。ただ復習に突き進んだエリーには、もう待ってくれるディーナも(彼女の子どもも)いません。

復讐と赦し…これが今作のテーマなのかなと感じました。
こんなに心を揺さぶられるゲームに出会ったことはありませんでしたが、ただ揺さぶればいいってもんじゃないんですよね。
ゲームは小説や漫画とは違って、プレイ体験する上でのカタルシスと爽快感もまた大事になってくると私は思います。どんなに辛い展開がこようとも、一筋の光というか、心がいい方向に揺さぶられることも大事だと思っています。このゲーム、それが圧倒的に少ない。
「やりたいことや伝えたいことはわかったが、ユーザーを楽しませようという視点や、ユーザーにとっての救いがもう少し欲しかったゲーム」だったなと感じました。

前作、ラスアスについて

もちろんプレイ済みです。イージーで。(笑)
『The Last of Us』は細菌感染によるパンデミックで娘を失った男、運び屋ジョエルがエリー(抗体を持つ少女)を研究施設に届けるため、感染者や生き残った人間たち(略奪者)と戦いながらボストン~ソルトレイクまで旅をする…というゲームです。

ジョエルとエリー、この二人の関係が本当にいいんですよね。 失った娘と同世代の少女エリーは、ジョエルにとって旅の原因であり過去のトラウマを思い起こさせる存在だったのですが、いつしか守るべき存在になり、守られることもあり…大事な旅の相棒になっていく。

エリーもまた、細菌でたくさんの人がおかしくなっていくなか、抗体を持つ自分だけが取り残されていった孤独を抱えていました。「みんなあたしを置いて行った!あんた以外ね!」と、大事な人達の中にジョエルも含まれるようになっていたんですよね。

最愛の娘を失った男と、取り残された少女の旅路…なんとも胸がきゅっとなる二人を見守った前作は、素晴らしいゲームだなぁと改めて思います。

エリーとはぐれながらも研究施設に無事到着したジョエルですが、ワクチン研究にはエリーの脳を取り出す必要があると知ります。ここからのジョエルの戦いは賛否両論あるかと思いますが、プレイしていると「こうするしかない」という気持ちになるんですよね。何を犠牲にしてもエリーを取り戻すしかない、と。彼女が犠牲になることを望んでいたとしても。

時々このゲームは、誰かを殺す選択を選ばせることがありましたが、それがまたずるいんですよね。感染してマスクが壊れた人が『殺してくれ。化物になりたくない』とプレーヤーに訴えたり。それなのに、エリーを取り戻すために踏み込んだ手術室にいる医者は絶対殺さないと進まないんですよ。ワクチン研究をする善良な医者を殺すわけです。でも、この頃にはもうそんなためらいがプレイヤーにはないんですよね。(ちなみに傍にいる看護師は殺さなくても話は進みますが、殺すこともできます;)
プレイしている人間をいい意味で傍観者にさせないゲームだったなぁと思います。

ラスアス2でジョエルはこの頃の決断について触れていました。「もしも神様が、もう一度チャンスをくれたとしても…俺はきっと同じことをする」と。それに対してエリーは「一生許せないけど、許したいとは思う」と答えていました。これがラスアス~2に繋がる全てだったのかもしれませんね。

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